福岡県黒田藩の変わりに命じられた長崎警護の折、石橋群をはじめて見てその頑丈さに驚いた長舒公は、秋月城下野鳥川に掛かる木橋が、流されたり、腐ったりしてその維持費に頭をいためていたことから、いち早く目をつけていたが、その建設には莫大な資産がいることから見合わせていた。
しかし文化2年(1805)年になると、なんとしても石橋の実現が望まれ、家老宮崎織部等の進言もあって、目鏡橋架橋に踏み切った。
しかし文化4年(1807)年、2年を費やしてほぼ完成していた石橋は大音響と共に崩壊した。
苦しい財政の中から無理算段した架橋工事すべてが、水泡となった衝撃は、病床にあった長舒公を直撃した。わずか43歳の若さで急逝することとなる。
再び石橋建設が住民の間にも高まり着工されたのは、2年後の文化6年(1809)年秋であった。
そして、文化7年(1810)年ようやく完成したこの目鏡橋は、御影石のオランダ風アーチ橋であり、花崗岩で作られ両側が階段式になった全国唯一の石橋である。
昭和31年4月3日県指定有形文化財(建造物)
所在地 | 〒838-0011 朝倉市秋月野鳥 |
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お問い合わせ | Tel:0946-22-0001 Fax:0946-22-0697 朝倉市教育部文化課 |
駐車場 | 有150台(300円) 5台(マイクロバス・1000円) 5台(大型バス・2000円) |
アクセス | 甘木バスセンターより秋月方面行き「眼鏡橋」下車すぐ |