戦国時代の城主は、秋月氏の家臣・宝珠山山城守。当時、秋月氏は豊後の大友氏と攻防を繰返していたので、この城も何度となく戦火に見舞われたことでしょう。
その後、乘手石見守りの時代を経て、関ヶ原の戦い以降、黒田長政の入国により中間六郎右衛門統胤が入城しました。
もともと中間氏は、豊前国中間庄(大分県・耶馬渓町)の一戸城を拠点とした有力な国人でしたが、1587年(天正15年)に黒田孝高(如水)が豊前六郡の新領主となると黒田氏傘下に入り、豊前平定に貢献。統胤の忠義心に加え、豊前豊後や隣国の地理に明るかったことも功を奏して孝高より黒田姓を授かり、黒田六郎右衛門統胤となって一門扱いとなりました。
その後、1615年(元和元年)の幕府の一国一城令によって松尾城が取り壊されるまでの約14年間、統胤が城主を務めましたが、その間大きな紛争もなく、平和な日々を送ったと言われています。
親友の益富城主・後藤又兵衛が三里の道をしばしば訪ねて来て、歓談したという話も伝えられています。
所在地 | 〒838-1601 朝倉郡東峰村小石原 |
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お問い合わせ | Tel:0946-74-2311 Fax:0946-74-2722 東峰村企画振興課 |
料金 | なし |
休日 | なし |
駐車場 | あり・20台 |
アクセス | 大分自動車道 杷木ICより車で約30分 |